院長の「なんていうか」日誌

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ボウリングの夢


三宅が幼少の頃には
日本中でボウリングの大ブームであり、
母は相当に当時のプロボーラー
[中山律子]さんに相当肩入れしていた。


おまけに三宅の実家の真ん前には
ボウリング場があり、
父と母と兄はマイボールを
持っていたのである。
父と母と兄は。



三宅は子ども用ボウリング玩具で
研鑽を積んだが、
マイボールを持てる年齢になった頃には
ボウリングブームは去ってしまった。


実家目前のボウリング場は
ショッピングセンターになってしまい、
両親のボウリング熱も簡単に解熱した。



それから十年あまり、
大人になってからプレイした
本物のボウリング場での三宅の腕前は、
[ストライク]か[ガーター]かの
両極端なものであった。




「リツコさーん!」