三宅が大学を卒業して研修先に選んだのは、
東京の昭和大学歯科病院であった。
今考えれば北海道の馬のホネである三宅を
よく受け入れてくれたものだと思う。
学生の頃に見ていた診療の場面とは違い、
膨大に抱えた患者数があって、
予約表はぎっしりと連日埋まっており、
三宅は眼を見張った。
先輩はみな優秀であるのに気さくであり、
それをいいことに子どもにあげる
石膏模型作りに精を出して呑気な三宅だった。
書いていて顔から火が出る想いだが、
「ご指導ご鞭撻をいただいて」今日の三宅に至るのである。
ちなみに当時の年賀状に『ご鞭撻を』と書いたら
三宅の書いた『撻』の字が間違っていて
正月明けに漢字のご指導をいただいたこともあった。
医局は自由な風土であったが
極めて真面目であり、
締めるところは締め、
飲むときは飲んで、
歌うときは歌った。
当時なぜかB型の歯医者が多かったのは今も不思議。
様々な個性の先輩たちが、
教授の一声で一丸となり、
活気溢れる、
医局員の溢れる、
にぎやかな毎日を過ごしたのである。
大切な時間だった。