院長の「なんていうか」日誌

みやけゆう歯科医院のオフィシャルページ

ケーキがいい話

「クリスマスケーキは食べてもいいですよ」

 

そんな話を子どもにすることが多い。

なぜか多くの子どもは無反応であり、

保護者の方が「あまり食べないンですよ」と

返してくれるのである。

 

低年齢はもとより

子どもがそれなりの年齢になっても、

ケーキを2個も3個も食べることは

考えにくいのであった。

 

それであれば、

気持ちよく食べてくれればいいのである。

 

問題はお腹を満たしにくくて、

気軽に口の中に入れることのできる

アレである。

 

アレ。

 

 

 

研修オンライン

今日の日曜日は

いつものように午前中は

医院の消耗品の買い出しに走り、

午後からはオンラインで研修を受講した。

 

便利な時代になったなと思う。

有益な情報が地元に居ながらにして

目の前で手に入るのである。

北見で暮らしているのであれば、

交通機関で研修先まで行かなければ

ならないのだ。

 

しかしその研修先の

他に受講可能な研修を眺めてみると、

根拠の怪しい研修もチラホラと

見受けられるのであった。

 

手軽さゆえに

玉石混合と言ったところか。

くわばら、くわばら。

 

 

 

冬のパーティー

冬はイベントがあって好きだ。

小さい頃からそうである。

昭和の頃はクリスマスには

いくつもパーティーがあった。

 

父の仕事のパーティー。

親戚のパーティー。

家族だけのパーティー。

幼稚園でも小学校でも

クリスマス会みたいなものがあった。

 

そもそも冬休みである。

毎日パーティーっぽい上に、

忘年会、晦日、大晦日、正月三ヶ日。

そうして成人の日。

父の職場には概ね成人を迎える

スタッフがいたので、

それにも簡単なパーティーがあった。

 

今思えば、

三宅の父がイベント好きだったのかと思う。

今でもそういう事業所もあるかもしれないが、

それほど多くはないのではないか。

 

ともかく家族とだけは

パーティーがあって欲しい。

 

 

 

ソフトクリーム

なんの気の迷いか、

コメダ珈琲に行った勢いで、

ソフトクリームを注文した。

単なる思いつきである。

 

しかし運ばれてきた

ソフトクリームを見て愕然とした。

デカすぎるのである。

 

どうして大きいことを

「ジャンボ」というかは知らないが、

まさしくそれであった。

 

もはやお腹の急降下も

覚悟しなければなるまいと

思って一口食べてみると、

一気に三宅はタイムスリップした。

 

当時の国鉄北見駅前で

『まるい伊藤』の1階にあった、

ソフトクリームと似た味である。

あのビジョン、匂いまで

全てを感じられるほどであった。

あの頃は良かったなぁ・・・とは禁句か。

 

結局コーンを含め、

ソフトは全て平らげたが

今のところお腹は平穏である。

 

 

 

 

 

 

フレンチトースト

フレンチトーストが好きだ。

好きだがたくさんは食べることができない。

軽食というにはお腹が膨れちゃう、

ボリューミーなものだ。

 

古代ローマ時代から

人々はフレンチトーストを

食べていたらしい。

日本に入ってきたのは

いつからであろうか。

 

以前渋谷のホテルで食べた

フレンチトーストが

美味しくて食べすぎた。

それからたくさん食べれなくなった。

 

欲を出してはいけないんだな。

 

 

 

寒気で換気

さあ、みやけゆう歯科医院の換気が難しくなってきた。

開ければ寒い、閉めれば暑いという

微妙な時期になったのである。

 

むしろ真冬の方が簡単で、

日中がプラス10度。

夜間がマイナス5度などという

0度を挟んだ気温の際が難しく感じる。

 

この時期は昼を超えて16時くらいまで

診察室内の気温が上がるため、

窓を開けていることが多い。

 

しかしその後は寒いので、

窓を閉めるわけだが、

この役目が三宅である。

なんのことはない。

 

単に三宅が『寒がり』だから。

 

 

 

聖徳太子のように

先日のある昼に、

なぜか診療室内にいるスタッフ、業者が

一斉に三宅に話しかけてくるということがあった。

総勢10名。

 

本当に次から次へと

話しかけてくる上に、

話声が被ってしまっている

スタッフまでいた。

 

飛鳥時代に生まれた聖徳太子は

10人の話をいっぺんに聞いて、

全て理解した上で的確に指示を出したという。

どうでもいいかもしれないが、

聖徳太子と三宅の干支は同じく午年である。

 

果たして三宅が10人の話を聞いて

適切に指示が出せたかは

聞いていないのでわからない。

もしかすると数人は生返事だったかもしれぬ。

 

以前、聖徳太子の末裔とされる方と

お話ししたことがある。

しかし恐れ多くて、

10人の話が本当かどうか

聞くことはできなかった。