今日の診療後に
買い出しがあって自家用車を走らせていると、
道の途中で学生向けの『炊き出し』をやっていて
思わず目を丸くした。
メディアでこの催しがあることは知っていた。
しかし目の当たりにすると
見慣れない光景でしばしギョッとした。
すばらしいことである。
日本も捨てたものではないと
思わせられる 。
何を食べさせているのだろう。
今日の診療後に
買い出しがあって自家用車を走らせていると、
道の途中で学生向けの『炊き出し』をやっていて
思わず目を丸くした。
メディアでこの催しがあることは知っていた。
しかし目の当たりにすると
見慣れない光景でしばしギョッとした。
すばらしいことである。
日本も捨てたものではないと
思わせられる 。
何を食べさせているのだろう。
「ファミリー」とは
なんだろう。
辞書を引くとこうだ。
英語から来た言葉。家族。家庭。
もしくは芸能人ファミリーのこと。
と書かれてあった。
芸能人ファミリーといえば、
『欽ちゃんファミリー』や
『小室ファミリー』を思い浮かべる三宅は
つくづく昭和生まれなんだと思う。
逆にいえば、
芸能界であっても近年では
ファミリー扱いしている芸能人は
とんと思い浮かばない。
『出川ガール』がそれに近いだろうか。
そう考えると、
ファミリーは日本語になっていると思うが、
今の時代ではどこか遠い言葉になっている様な気がして
ちょっと寂しくなるのであった。
ファミリーが家族でいられますように。
今日から下半期。
夏場も本番なので、
みやけゆう歯科医院の診察室の
のれんを「夏服」に替えた。
いや夏っぽいのれんに
替えただけである。
それだけなのだが、
雰囲気がずいぶん変わって
院長もビックリである。
医院を設計してくれた建築士は
診察室の入り口には何も置かずに
オープンにしようと言ってくれたのだが、
通路から治療中の患者様が見えてしまうのも
どうかということになり、
結局のれんを付けたのだった。
しかし調べたら、
「のれん替え」という慣用句はなかった。
タイトルが変か・・・。
三宅が小学5年生の時、
下校中に従姉妹にばったり会った。
高校生だった従姉妹は
三宅を連れて家に帰ると、
ホットサンドを作ってくれた。
これが三宅が生まれて初めて食べた
ホットサンドである。
そんなハイカラなものを
食べた事がなかったので、
それはそれは感激した。
自分の家に帰った三宅は
母に願い出る。
「ホットサンド作って!」
母の回答はこうだった。
「なにそれ」
当時の母もパン好きだったと思うが、
ホットサンドには
ほとんど関心なかったのである。
三宅が人生2回目の
ホットサンドを口にするのは、
それから10年経ってから。
いまからでもホットサンドメーカー
買おうか…。
「ホットドッグが好きだ」
そう書こうと思って、
自分のブログを検索し直してみると、
あまりのホットドッグ・ネタの多さに
我ながら唖然とする。
要するに好きなのだ。
しかも同じ店のホットドッグばかり
延々と食べている。
写真を残すというのは怖い。
近々、ブログをやめてインスタに移行し、
記録が残らない様にしようかとも
思わせられるホットドッグだ。
しかしホットドッグは美味しい。
考え出したアメリカの商人は偉大である。
三宅がいままで一番美味しいと思った
ホットドックは海外で食べたものだ。
やはり食肉の歴史がそうさせるのであろう。
将来的にホットドッグの旅に出ようかなァ・・・。
沙羅といっても世界的ジャンプ選手ではない。
みやけゆう歯科医院の玄関前で
患者様をお迎えするのが
沙羅、別名「シャラノキ」である。
日本原産の落葉広葉樹で、
湿潤かつ日陰が好きな木だそうだ。
しかし、みやけゆう歯科医院では
おもむろに日の当たる位置に植えてあるので、
木には大変申し訳ないところだ。
それでも元気である。
この時期に花を咲かせるのだが、
今年は当たり年。
花は朝に咲くと夕方に落ちる『一日花』だ。
綺麗な花なのに
どうして1日しか咲かないのだろう。
花は儚いが、
無数につぼみを持っている。
なんだか強い。
通路側か窓側か。
こと航空機において
座席予約の位置は重要である。
移動手段として考えれば、
交通機関で座席の位置など
さしたる意味はない。
しかし、
自分は空を飛べないのだから、
空からの眺望はそれ自体がイベントである。
三宅的には窓側に座して
空から母なる地球を眺めることは、
自分のありさまを振り返るきっかけとなる。
いろいろ考えていても、
大地の雄大さからみたら
大したことはないのである。
三宅が一番感動するのは、
羽田から女満別に飛ぶときに、
太平洋上に出てから
北海道の沿岸が見えたときだ。
その大きさに三宅は感動し
シャッターを切る。