5月13日(水) 「揺れる想い」
出発の5月13日は雲こそあれ快晴で、
女満別空港までの道すがら
大空町にある藻琴山が良く見え、
「これは幸先が良い。」と思った。
スタッフとは空港で待ち合わせをした。
日頃私服で接することは少ないので、
空港内でスタッフの一団を目にした時、
「どこの女性グループだろう。」と
瞬間はわからなかった。
念のために言っておくが、
もちろん素敵な一団だったのである。
さて、いよいよ出発。
以前みやけゆう歯科医院で
三宅も含めスタッフ全員で
羽田で行われた研修会に
参加したことはあるが
それは日帰りの研修会であった。
今回、宿泊も全員での出張も初めてである。
ここは[旅慣れた]三宅がうまく
引率しなくてはと少々緊張した。
飛行機は離陸し、
この日は強い気流の関係で離陸直後から
ことのほか揺れに揺れた。
多少なりとも出張で飛行機には乗るから、
スタッフの手前悠然と座っているつもりだった。
しかし、悠然どころかひじ掛けにつかまらなければ
ならないほど揺れて、手に汗握った。
離陸前からお喋りに夢中だった
三宅の座席より右後方の
二人組のご婦人方が、
それまでしていたおしゃべりしていたのに
下方向へ揺れた瞬間、
「ひょおぅぅぅおぅぅぅ〜。」
と声を上げると
さらに上下に大きく揺れ、
機内にいる多くの女性がまた一斉に
「ひゃああぁぁぁぁおぉぅぅぅ〜。」
と声をあげた・・・。
ずいぶん前のことだが、
父と乗った[YS-11]という
国産旅客機は、
しばしば苫小牧港の上を飛ぶと
“エアーポケット”と呼ばれる
下降気流の多い区域を通るのか、
機体が50〜60センチくらいだろうか、
飛行中に「ひゅっ」と
落とし穴に落ちたみたいに下降し、
その当時にも機内の女性たちが
「ひゃぁぁぁぉぁぁ〜。」と声をあげていた。
30年ぶりにこの悲鳴を聴いた。
懐かしいというより怖い。
こんなに揺れた飛行機に乗ったのは久しぶりで、
心の中で亡き父に
「オヤジ、まだダメだよ。」と
念仏のように唱えていた。
結局、羽田から乗り継いだあとの
大阪の伊丹空港に着くまでの飛行機も
たびたび上下に揺れ続け、
伊丹のターミナルに着いた時には
三宅を含め<たぶん>全員ブルーだった。
げっそりしたうえに、
ホテルまでの移動で
全員が学会用のスーツを含めた
大荷物だったので、
JRと地下鉄の乗り継ぎに、
北海道とは違う慣れない大阪の
階段の多い駅で皆、
難儀した。
主任の[ささき]は、
「今日は(遊園地の)アトラクションに
乗ったかのようで、酔いました。」と
うらめしそうに言う。
本当にアトラクションに
乗ったみたいでよかったね。
結構楽しくなかった?
お疲れさま。
明日からの学会、
宜しく。